6.瀬戸内海は素晴らしい(98.11.17)
 
晩秋とは思えないような暖かい今日、しまなみ海道の一部で既に開通している 因島大橋を徒歩で往復して来ました。 こちらの瀬戸内横断橋はご存知の通り 歩行者、自転車、原付自転車が利用できるように2階建てとなっております。 自動車で渡ればほんの2〜3分の橋ですが来年の自転車による本州←→四国 バイクツアーの予備調査を兼ねて本日は徒歩調査を行いました。 頭上の車道は行き交う車で騒々しいのですが、階下の歩道部分は我々だけです。 これで無料ですから、たまらないですよ。 でもテレビカメラがあり遠隔でチャント監視されていますので、通行区分は厳守です 。 流石に瀬戸内海国立公園デスねえ、どこから見ても絵になります。 ユックリズムで歩くとまたその美しさを存分に堪能出来ます。 行き交う船も格好のワンポイントでその景色を際立ててくれます。 今は秋なのに、波の穏やかさは春の風情でした。そんな景色を眺めつつ 歩くと身心共にリフレッシュするのは至極当然なことでしょう。 本州←→四国バイクツアーを控えての予行演習はまだまだ続きます。 今度は一緒に行きましょう?
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7.カッパさんの前でした。(98.12.12)
 
最近回転寿司屋が流行っているんですってねえ。 あれって、自分のペースで好きなものを勝手にとって食べるのでいいですね。 いちいち板前さんに注文をしなくても、回ってくるのを取るだけです。 なかには無いネタは板さんに言って握ってもらう、気兼ねなく楽しめていいですね。 ところで、カッパ巻きは、お好きですか?大体カッパを食べるのは終わり頃でしょう 。 ウニ、とろ、イクラなどのちょっと値のはったネタを楽しんだ後、もう一つ、と言っ た 時に食べるのがカッパでは有りませんか。カッパを最初から食べてカッパだけで満足 と いう方もあまりいらっしゃら無いでしょう。 それと同じで昨晩(金曜日の夜)私は、カッパの前のネタでした。強いて言えばタコ ですかね。 何の話か判りますか?四日市市民大学の閉校式で妹尾河童さんの前座で、受講の感想文発 表をやったのです。 四日市市文化会館の第2ホール、大体500人位は収容できるんではないでしょうか 。 満席でした、私の感想文発表をわざわざ聞きに来ているのです。(暇な人も多いんで すね、この師走に!) いよいよ閉校式が始まりました、教育長が挨拶をされました。この人原稿無しです。 さすが長というだけあって、盲腸もえらいですわ、流暢にお話をされます。 私の前に感想文を話される栗原さんと、舞台の袖でお喋りをしておりましたら、 彼女の友だち曰く、”あんたの話なんかどうでもええや、早うおわんな” ”早う妹尾河童さんの話が聞きたいんやで” そうです、われわれは河童の前のネタで、踊らされるタコねたでした。 私の感想文の原稿を添付しましたので、お笑い下さい。 妹尾さんのお話はテレビなんかでいつもお話されている「少年H」の本の 話でした。でもあそこまで著明な方ですね、やっぱり常人ではないですね。 ご自分でも言っておられましたが、へそ曲がりですね。 へそ曲がりがそうさせるのか、現在の社会的な知名度がそうさせるのか、可成りの曲 がり具合です。 まあ、私には真似が出来ません、所詮一般ピープルの幸せ?or 不幸せ?でしょうか。 まあ、そんな事でしっかり河童の前のタコでしっかりタコ踊りを致しました。 その後はディベートの仲間で近鉄の9階で、ぴちぴちネタ、バドガールを賞味しまし た。 そちらの詳細は柳川レポーターが写真付きで送ってくると思いますので、お待ち下さ い。 中年愚連隊は、バドガールの名前を聞いたり、無理矢理写真をせがんだり、携帯の番 号を 聞こうとしたり、間仕切りで仕切られたところに閉じ込められているのに、しっかり と 暴れて来ました。閉店が10時ですので、あっと言う間の幕切れだったと思います。 と言いますのは私は、野暮用で先に失礼させて頂きました。盗み撮ったバドガールを ご所望の方は 返信のメールを頂ければと、存じます。失礼致しました。
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8.二の瀬峠越えはルンルン(2000.5.26)
 

2月末より5月末まで超多忙の一時期を過ごし、やっと昨日その状況を解決しました。今日からまた、以前のSOHO生活に戻りました。やはり他の会社の中に入って仕事をさせていただくというのは、厳しいものがあります。全てが新しい環境の中で直ぐに結果を出すことを求められる。そして期待に違えばお役ごめんです。アウトソーシングとか、派遣社員の厳しさを実感しました。
ん〜てな事で、気分転換をする為にバイク(CBR600逆車)で一走りしてきました。ルートは私のお気に入りコースのひとつ、北勢南濃線です。こちらのルートは、週末ともなると特に岐阜県側は自転車野郎にバイク野郎で一杯ですが、今日はまだウイークデーで、私一人の専用道路でした。途中自転車の人が岐阜県側から登ってきているのを見ただけでした。往路、庭田公園のトン先で大垣の方の下界を見たのですが、生憎のもやで眺望は今ふたつくらいでした。南濃方面への下りです。ギアーを4速に落としエンジンブレーキを効かせながらスムースに下降です。4ストの大人しくも高い回転音とその震動が大腿部に伝わってきて快調な走行でした。南濃側に降りたところで小休止。このまま帰るのはまだ時間が早いし(10:00am)、大垣まで足を延ばして、今開催中の大垣博を見て帰ろう。そして、もしかするといつもネットでお世話になっているメルフレにも御目文字できるかもしれないと更に北に向けて出発です。”俺の行く先は?””バイクに聞いてくれ”、ってな計画性のない行動です。唐突な行動でメルフレとの交流はありませんでしたが、大垣博ではNHKの葵徳川三代の関が原の合戦を再度見ることが出来ました。丁度、大垣城といい関が原といい、400年前は大変な歴史的な意味のある、場所だったのを思い知らされました。本当に”兵どものが夢の跡”が、あの辺りだったのですね。
帰路の二の瀬もまた爽快で、視野180度が緑に囲まれた世界に突入してゆくような感じで南濃から一気に上り、降りてきました。あのワインディングのコーナーでぐっと車体をインに倒し、そして直ぐにその反対のインに身体を動かしてコーナーをクリアーする感覚、最高でした。次は最近入手した新車(オフ)で行ってみたいところです。

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9.瀬戸内随想(2000.8.27)
 
今は各家庭でのお風呂が普及し、内湯とか外湯とかの言葉も聞かれない事が多いのですが、私の子供の頃は町中の長家住まいでしたので、お風呂と言えば銭湯でした。銭湯に入ると壁のタイルに富士山と湖の絵が書かれていたのを記憶しています。この絵の印象が強かったのか、小学校に入っての図画の時間に描く私の絵にはいつも山と池、湖でした。その後、富士山と富士五湖のある風景が本当に有るのも知りました。それと、水のある風景が何かしら自分を心地よい気持ちにするという自己を発見したのです。それは、西瀬戸自動車道(しまなみ海道)を幾度か行き来するたびに海の見える風景を見るにつけ気持ちが和むのを感じたからです。同行する姉も同じ事を言っており、同じ母親から生まれた性か、母親の生まれがこの瀬戸内の町だからなのか、同じ銭湯に通っていたからか、もっと広く考え人類が母の体内で羊水に揺られていたからなのか、いろいろと考えさせられました。スキューバダイビングで水中に潜り、中性浮力でゆらゆらしている状況はまさしく羊水の中ではないかと、実感するのは私だけでしょうか。海とか、水辺の見える風景が嫌いな方もいらっしゃるのでしょうか?今回の旅は87歳の母親がずっと寝たきりで、”次に容態が悪化すると覚悟を”、との医師の話より見舞いに来たのです。母は何も話せませんが、意識はしっかりしていて、問いかけに手を握り返して反応してくれました。でも、おそらく”これが最後!”になるのかと思いつつ、皺の幾重にも入ったまぶたの奥の細い眼をジッと見つめました。そんな状況が感受性を鋭敏にさせたのか、特に今回は瀬戸内の見える場所で、母親の体内に戻って来たような感傷的な気持ちになったのでした。
      平成12年12月22日(金) 午前1時他界 享年89歳でした。
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