湖東トンネル紀行
2001/04/26


seto私は、バイクに乗って一番楽しい時期の一つは梅雨に入る前の4、5月ではないかと思っています。道を走れば花と青葉若葉が眼に入り、気温は暑くなく、寒くなく最高です。そんな4月の末に今年、21世紀最初のツーリングに、私の好きな場所の一つの湖東(琵琶湖東岸)を走って参りました。今回のハイライトはつい数日前に開通した、R303の八草トンネルです。このトンネル開通前は狭くてタイトなコーナーの連なりで通り抜けるのに40分位かかったのが、わずか数分で岐阜県と滋賀県を繋ぐトンネルです。今回もお大師さんのお言葉通りの同行二人のタンデムです。背負うは妙音天様です。こちらうまれて始めてのバイクライドで、もう出発前からかなりのハイ状態です。大丈夫かいな?で出発しましたが、上手くバイクのゆれに合わせて動いてくれています。R365を木之本まで上り、東に折れR303へ乗り早速最初のトンネルに入ります。関西電力の工事車輛が頻繁に行き来しておりますが、ガードマンの方がコーナー毎に配置されていて、知らせてくれます。集落の中の道は細く車との対向はきついですが、いくつかの退避所がありますので、飛ばさない限りは安全な道路でしょう。そろそろ頂上かなと思いタイトなコーナーを一気にあがった途端目前に真新しいトンネルが飛び込んできました。八草トンネルです。暗闇の中に突入、ずいぶん先に岐阜県側の明かりが見えます。ところが、走れど走れどこの明かりが寄ってきません、トンネル内の気温がだんだん下がってきてこのまま走り続けると辛いなあと思いつつ走行していると、滋賀県と岐阜県の県境の表示が見えました。出口はまだか、まだかと思っていると、やっと岐阜県側の出口に到着です。そこには、今年の積雪の多さをしめす残雪がまだありました。開通して間がないので、何人かの方が立ち止まって写真を撮っていました。このまま坂内村、藤橋村、と行きたかったのですが、まだ他のトンネルが残っていますので、しばし立ち止まってそのままUターンで再度八草トンエルを引き返しました。行きは長い長いと感じたものも、帰りはあっと言う間に通過した感じでした。この滋賀県側の出口は出た途端にカーブで旧道につながりますので、減速を十分していないと、ガードレールに激突必至ですね。ご注意ください。次のトンネルはR303杉本から余呉に抜ける県道です。こちらのトンネルは車1台しか通れないにも関わらず、信号も内部照明も何もなくもし対向する時は丁度トンネルの中程にある、退避所で待ってて対向するしかなく、バイクにとっては真っ暗やみの中での退避でかなり恐怖が楽しめる感じでスリル満点です。次のトンネルはR305からR8に抜ける柳ヶ瀬トンネルです。こちらは北陸自動車道の下での信号で交互通行です。本当にずいぶん昔に造られた感じが路面の鋪装をみても良く分かります。対向車がないので安心して走れますが、幅が狭く長いので、「トンネルと抜けるとそこは別世界、異次元へのタイムトンネル」を彷佛させるにピッタシの楽しめるトンネルです。R8とR161の合流地点を過ぎ敦賀に入ったところの弥次喜多で昼食を頂き、その後、敦賀港で小休止して引き返しR8賎ヶ岳トンネル、R365上石津トンネルを駆け抜けて、鈴鹿帰着は午後6時過ぎ、走行距離は290キロ。2001年最初のツーリングとして、快適で感動的なコースを楽しむ事ができ、至福の1日でした。背中の妙音天様は帰着後も臀部にバイクの振動がビリビリと残っていて、ハイな一夜を過ごされたそうです。ありがたや、ありがたや。

 


中暴軌のMENUに戻る

 

 

旧道が楽しい!
2001/04/28

 

交通量の増加に伴い、以前は細い街道を走っていたのが、郊外を迂回してのバイパスや、峠などコーナーが厳しい所はトンネルができたりで、より安全にそして道路周辺の住民の方々への環境回復などがbudgirl行われています。このお陰で私達は快適にそして安全に車の運転を楽しむ事ができるのです。それは大変良い事なのですが、新しい物ができると古い物がすっかり忘れられてしまうのも、事実です。そこで、今回のバイク行はゆっくりとそんな忘れられた旧道をゆっくりと走ってみました。鈴鹿から奈良県生駒市までを、普段乗っているCBR600からデュアルパーパスタイプに乗り換えて楽しんできました。ルートはR25(自動車専用道路の名阪国道と並行して走る)、R163島ヶ原、笠置トンネルの旧道、木津市内です。R25はR1の東海道関宿で有名な西の追い分けより左折するとすぐに山間を走ります。R25は、途中に土砂処理場があり土をつんだダンプカーの往来が激しいのと、コーナーにこぼれた土砂がたまっており、バイクのコーナリングは細心の注意が必要です。それと、センターラインが無い所が多いので4輪がかなり寄ってきますので、これも要注意です。名阪国道では関、加太のトンネルで超える所を連続コーナーで山間を抜けて行きます。集落の中を走る雰囲気は旧道の懐かしさが一杯です。自動車専用の名阪国道はタンデムは禁止ですが、こちらはOKですので、タンデムの場合はこちらをゆっくりと走るのが良いですね。上野からはR163に移り島ヶ原を目指します。島ヶ原の旧道はすっかり車が姿を消してお年寄りが道路の脇をもどかしい足取りで歩いていて、以前は危険で想像もできなかった風景が見れ、村の人達が生活道路を取り戻した感じがしました。笠置の旧道はトンネルが出来る前に通っていた道を4輪は入れないようにしてあるので、バイクならでは道になっています。木津川の様子が良く見えますし、以前で考えられない位に木が道路の上に被いかぶさる位に茂っています。枯葉が道路端にたまっていますので、これまたバイクはスリップに要注意です。枯葉の道を走るのって林道でも走らなければ経験できませんが、こんなところにもあるのですよ。所どころにベンチや屋根付きの休憩所もあり、木津川の岩と流れを愉しみながら一服するには良い所です。距離は短いですが、ゆっくりと景色を楽しめながら走れる旧道の存在を再確認しました。時間に追われてバイパス、専用道路、高速道路をどんどん走るのも結構ですが、たまにはゆっくりと旧道を走るのもバイクのもう一つの愉しみですね。生駒までの往復約5時間のツーリングでした。



中暴軌のMENUに戻る

 

 

 

R365(北国街道)
2002/05/12


敦賀湾の向こうに敦賀半島若葉の薫る時期です。沖縄はもう昨日、梅雨に入ったとのニュースを聞き、東海地方も、もうそろそろかと、慌てて今年初めてのショートツーリングに出かけました。行く先は、家の近くを通っているR−365(起点三重県四日市市 終点石川県加賀市 全長231.2Km)を北へ北へでした。いつも近くを走っていて、それがどんな所を通っているのかを一度は自分で走って確認したいと思っていました。別名北国街道です。名前が良いですね、なにかしら私の知らない北の国に導いてくれそうなネーミングです。冬の間は閉鎖の峠も、もうこの時期は大丈夫でしょう。家で出発前にざーっとルートを確認しただけで、出発は午前9時です。今日の目的は何処によるでもなく、ただただ楽しく走るのみです。道中には余呉湖、夜叉が池、温泉もたくさんあるのですが、今日はもう純粋にライドを楽しむことです。ひたすら走り続けるだけでした。木之本を過ぎ北陸自動車道を右手に見ながら走る辺りからは車もぐっと減り快適な走りが楽しめました。椿坂峠、栃の木峠ではワインディングもスムースで快適の一語でした。峠の通過記念に頂上で、小さな税金を立って支払ってまいりました。天気予報は晴れでしたが、雲がかなり低くこれは少し雨にあたるかなと心配をしましたが、快適なサンシェードの役目をしてくれました。服装はジャンバーとトレナーでしたが、首もとから入り込んで来る風がどことなくヒンヤリして気持ち良いくらいでした。福井県今庄町に入ったとたん蕎麦祭りの幟が道路沿いにたくさんはためいていて、時刻も丁度お昼時で、通りかかりの食堂で小休止。もちろん注文はおろし蕎麦。でも、お味はまぁまぁの感じでした。その後R365を武生まで直進しR8との合流点で左折し帰路につきました。帰路は、敦賀湾を見ながらトンネルも適度にあるこれもまた快適なライドが楽しめます。敦賀湾が見えなくなったかと思うと次は琵琶湖が迎えてくれる本当に楽しいコースでした。機会があれば武生の先、終点加賀市までを走破したいと思っていますが、私の地図では福井県越前町以北はR365の文字が消えてしまっています。これは、R305との重複を意味しているのだと思いますが、ちょっと不安です。前半のR365は山間のルート、帰路は水辺のルートでライダーを退屈させないツーリングでした。総走行距離は288キロ、帰着は午後6時でした。その夜は夢の中でもワインディングで身体を右に左に揺らしていました。

 


中暴軌のMENUに戻る

 

温見峠、ブナオ峠
2002/06/04


今年は入梅が例年より遅いようなので、もう1回その前にとまたまた、ツーリングに出かけました。今回は冬季に閉鎖となるR157温見峠を超えて金沢までのツ―リングです。温見峠は能郷白山の麓をこれでもか、これでもかと続く狭路ワインディングで、途中何か所かは道路を横切る小川で危うくスリップという場面もありました。岐阜県側が特に厳しく対向車があるとバイクでも立ち止まって交互に通行しなければなりません。安全に走るのが精一杯で眺めを楽しむという走行は全くできませんでした。工事用の車両に分かり易くするためか各カーブの上方にカーブの番号札が掛けられているのが何かしら、こんな山深い、狭路でも車が入ってくるのかと、不思議な感じがしました。頂上の温見峠は少し広まった所で、県境標識と能郷白山への登山道口がありました。根尾からここまで約1時間半位、狭いワインディングを緊張して走って来ただけに、頂上のこの開けた場所では思わずほっと一息をつきました。今まで通過してきた道からしても冬は絶対除雪が不可能で、冬季閉鎖はあたりまえ、夏でも天候が少しでも悪いと通行を控えたい国道です。峠の頂上からは福井県大野市です、行政区分が村から市にかわったのを実感させる程に、根尾側と比べて整備されていて広く此れが同じ国道とはとても思えない位に快適な敦賀湾の向こうに敦賀半島走行が楽しめる道に変わっていました。その後、勝山街道、白山街道を通って中継地点の金沢市内へと一気に走っていきました。翌日は早朝4時半に起床し夜もまだ明けやらぬ金沢市内から県道10号を刀利ダムまで走ってきて、通行止め表示です。ここで右折し県道54号を使って石川県から富山県へと抜ける予定をしていたのですが…。でも、その通行止めの表示が??。6月なのに「冬季通行止め」で、期間が7月31日までです。これでは、すんなりと引き返すわけには行きません。「えぇい、行ってまえ」で、強行突破を決定です。ところがそんな通行止めを入っていけばいるわいるわ、軽トラックから1ボックスまで、こんな朝早くからです。多分渓流釣りのマニアでしょう。途中2ヶ所通行止めの柵もキッチリ1台分が通りぬけられるように脇に移動してありました。(ありがとね!)こちらはバイクですから楽々通過できました。それにしても何処が冬季通行止めなのでしょうか??良くわかりませんねぇ。後でよくよく考えて見たのですが、おそらく工事用の車両が入ると道をふさいでしまうので、通行止めにしているのではと、推測しました。通過した時刻は朝まだ早く工事の人もまだ準備中だったのかもしれません。昼間ならさしづめ木陰のトンネルとおもわれるほどの山深い道をずんずんと進みました。俗称「塩硝街道」そんな昔を思わせるにぴったしの道で時間があれば歩いてみても楽しめそうな道です。トンネルも暗く狭く雰囲気は最高です。およそ1時間、森林の中の走行をすれば、急に開けたところに到着、ブナオ峠です。ここで、大門山にこれから登山しようとするグループに出会いました。「通ってこれましたか?」「4輪が何台も入っていましたよ」と、情報交換をしまして、国道156号を目指して山を降りていきました。途中でユンボを積んだトラックとすれ違いました。「あのユンボが道をふさぐのかなぁ?」と思いながらの走行でした。帰宅後、ネットで検索していてわかったことですが、このルート、数多くのライダーや峠マニアが完走を目指して何度も挑戦しておられるとのこと。それを幸運というのか、猪突猛進というのか、一度で完走制覇してしまいました。「ラッキー!?」

 


中暴軌のMENUに戻る

 

九九里の半ば
2003/03/06


春3月なんとなく気分も軽やかになる時期です。冬の間は寒くてどうしても家の中にじっと我慢の中年も何故か体がむずむず(股間でないのが???)としてくるのです。テレビで山陰の昔通った丹後地方が放映されたのを見て、巡り残した西国薬師霊場結願達成にと旅立ちを決意しました。「人は何故山に登るのか」そんな言葉がありました。「貴方は何故お寺を巡るのか?」そんな難しい事は「私の足に聞いてくれ」と、返事が出来ない自分の無知を棚上げにしたいです。判らないままでも生きていかなければならない、生かされている私の人生です。札所巡りが出来る健康を実感する、感謝するそして巡る巡るです。折角巡るのならと今回は西国33観音霊場も近いので昔会社員の中年は効果と効率を重視して同時にお参りを目論見ました。2泊3日の巡礼旅です。初日は京都近辺を中心にお参りしました。近江の三井寺、大原三千院、醍醐寺等々観光でも有名な寺院がほとんどでした。しかし中年は観光地などで有名な寺院は苦手なのです。拝観は時間厳守で早くても遅くても受け付けてもらえません。そして駐車料金、拝観料等々年金暮らしの懐には打撃がキツイ。非常に世俗的な理由から苦手なのです。何かしら「地獄の沙汰も金次第」を突きつけられるようなのです。大きな文化財を維持保存するには多大な費用が要るとは、判っていても中年はやせ細る自らの懐に寂しさを隠せないのです。2日目は山陰の日本海沿岸の札所をお参りです。応挙寺の円山応挙が描かれた襖絵の八方睨みという画法には驚きの一語です。札所巡りの喜びのひとつは、このような、思いがけない所での思いがけない宝物への遭遇です。結局こちらでは肝心のお薬師さんにお手を合わすのを忘れてしまった、罰当たりな中年でした。3日目は福知山を出発し瀬戸内海方面へ南下しながらお参りするルートです。 兵庫県氷上郡にある達身寺では多くの木彫仏像群(完成、作成途中、部品)に驚かされました。戦火を避けるために土の中に埋もれていた仏様、中には朽ち果て虫に蝕まれた仏様。果てしない時の流れがそんなお姿の仏像群から強く伝わって来ました。今回のお参りで薬師霊場は結願と思いお参りを続けて来たのです。が、最後のお寺さんで「あと少しですね。」の一言で「??全部のはず??」の疑念がむくむくとわき上がって来ました。帰宅後ご朱印を見ますれば、お参りは全て済ませていますし、ご朱印帳は全て揃っているのです。が、軸の方は後3カ寺、それも始まりの1番札所(奈良薬師寺)、最後の49番(延暦寺)が残されていたのです。「百里の道を行く者は、九九里を以って半ばとする」と言う言葉がありありますが、我が巡礼の旅も、今まさに半ばです。残る3カ寺そしてその後の四国札所巡り等これからもまだまだ私、中年の暴走巡礼の旅は続くようです。





中暴軌のMENUに戻る

 

空気の匂い
2003/06/05

今週の水曜日くらいにやってくる梅雨で、バイク絶好の時期が一時お休みに入る前にと今年も出かけました。このたびの行く先は伊吹山ドライブウェーを登っている折にいつも気になっていた、右手山向こうに見える道でした。地図で調べてみると、県道257川合垂井線でした。関が原よりその県道に入り、続いて県道32,40,274揖斐高原線そして国道303号線にぶち当たるまで、ずーーっと北上です。途中国見峠に立ち寄って小休止。平日ということもありルートは丸っきりの貸切状態です。木立に囲まれたルートは真夏でも木陰トンネルでクールな走行を楽しませてくれそうです。若葉が大変元気でフィットンチッドの香りをルート上に充満させてくれています。走っていて空気の香りを楽しめるのはまさにバイクだけの特権です。鉄の囲いが自分の身体の回りにないだけでも開放感に浸れますが、こんな新鮮な空気の匂いがさらに走行の開放感を倍増させてくれて、健康でバイクに乗れる幸せを感ぜずにはおれません。フィットンチッドの香り以外にも私は、野焼き、藁焼き、芝生刈りなどの匂いも好きです。心地よいとする匂いには多少個人差があると思いますが、そんな匂いがした時には思いっきり深呼吸をして我が体内の隅々まで空気を充填させて命の洗濯をしております。さて、ツーリングの方は山間の道だけに思わぬところで工事中通行止めの標識に出くわすのですが、今回も3ヶ所でその標識でしたが、結果はそのうち2ヶ所を難なく、クリアーでした。標識に出くわす度に思うのですが、工事をするのは必要でしょうが、生活に直結する道路です、まして一本道、代替迂回するルートをはっきりと一緒に標識で明示して貰いたいものです。「通行止めで行けないよ」これだけでは使う道路でなく、工事の為の道路で困ってしまいます。通行止め区間に入ってみると逆方向から車は来るし、路肩に車は駐車してあるし、どこまで真剣に正直に標識を守ればいいのか、疑問ばかりが残ります。ま、そんな工事区間を難なく通行すると何故かしら「やったぁ」という、妙な達成感が沸くので、中年はそれなりに楽しんでいるのですが、当局の改善を願います。国道303号からは冬季閉鎖の八草峠トンネルを越して近江の国です。峠近辺の道路はもうあと何年続くのかわかりませんが、新道路の工事がまだまだ真っ盛りでした。新しい道路を走るのが楽しいか、今の道路を走るのが楽しいのか、結論が出せるのははまだまだ先のようです。旧道を愛する中年としては、峠トンネルの旧道は今はもうすっかり利用されないのか、鉄パイプで閉鎖されていて全く入れない状況で少し残念な気持ちがしました。総走行距離243キロの快適なショートツーリングでした。


中暴軌のMENUに戻る





 安楽越え
2004/01/04

2004年の初乗りに出かけました。コースは鈴鹿の山を越えて甲賀の里そして関宿へと戻ってくるコースです。2004年のお正月、3ケ日は比較的天気も穏やかでした。はてさて、4日も風も無くバイク初乗りには心地良いものでした。鈴鹿の山越えはいくつかのコースをすでに走破していますが、今回は安楽越えをトライしました。この鈴鹿山脈越え、歴史・文化的に見ると、古くは鈴鹿山脈において日本の東西が分けられ、その各峠は奈良・京より東海、東日本への出入口となっていたのだそうです。鈴鹿川沿いには、古くより川が穿った渓谷を利用して道が作られていて、それは「鈴鹿越え」、「加太越え」、「安楽越え」と言われていたそうです。奈良・京の都、畿内と東海、東日本をつなぐ交通の要衝であったとともに、歴史を織り成し、その舞台となった川であったようです。戦国時代には、明智光秀が織田信長を討った本能寺の変(1582年)の直後、徳川家康が大阪、伊賀から加太峠を越え、白子港から岡崎へ戻ったとされる、いわゆる「伊賀越え」の舞台ともなりました。 その翌年には、明智光秀を打ち破った木下藤吉郎秀吉が、北陸の柴田勝家に同調した滝川一益を討つために「安楽越え」をし、加藤清正らとともに鈴鹿に入り、桑名で弟・秀長の軍と甥・秀次の軍と合流し、一益の本拠である木曽川河口の長島を攻めたとも言われています。そんな事を考えながら関から林道への入り口を探しながら走っていると道を間違えてしまい、また国道1号線上り車線で引き返し林道に入って行きました。さすがに交通量が少ないのと、山深い場所だけに日陰のここそこには1週間前の雪が残っておりました。それとコーナーの幾つかは落ち葉の堆積があり、これも朝の湿り気を持っていてバイクのコーナーリングには危険極まりない様子でした。スピードを押さえ慎重にカーブを曲がりながら進みました。石水峡キャンプ場で右折していよいよ安楽越えに入っていきました。いつも峠越えのパターンは峠の頂上で休憩を取るのです。ここがその頂上かと思うところで一休みしようと考えたのですが、1BOXカーが駐車しており、それを避けて少し走って降りた地点が上の写真の地点です。ここで一休み。見上げると上空は抜けるような青空で、ジェット機の軌跡がいくつか綺麗な直線を残しているのが見られました。いつものようにこの地点で小さな税金をショウショウ納めた後、山女原の集落の中を抜けて国道一号線に戻ってきました。マップルでは山女原の景色が良いとの注釈がありましたが、そんな感じはあまり感じることができませんでした。その後水口で昼食を摂り、甲賀、関と走り抜けて帰ってきました。甲賀では忍術村をゆっくりと見学もしたかったのですが、この時期のお日様は早くお休みになるので横を通りすがっただけでした。この時期やはり日没後のライドは厳しいですよねぇ。総走行距離160キロの快適な初春ショートツーリングでした。この調子で行くと今年はかなりバイクツーリングが楽しめそうかな!




中暴軌のMENUに戻る